やっぱ適当がいちばんですねぇ…
A Beat With Groove
drum
7月13日からの3連休、岩井の音楽民宿に行ってきました。じつは過日ゴールデンウィークの前半にも行ったので今シーズン2回目になるバンド合宿です。しっかしまあ暑いのなんの。戸外にいると短時間で汗が吹きでる暑さです。いきおい水分補給にとぎんぎんに冷えたビールを飲む。けっこう次っから次に飲む。部屋ではクーラー全開です。ここは北極かつうくらいに冷えている。当然、体も芯から冷えます。ところが外に一歩でると熱帯。もう寒いんだか、暑いんだか。で、初日からいわゆるクーラー病にかかったような気がします。アルコールも手伝って、めちゃめちゃ体調が悪い。そんな状況下でも女性陣はやたらに元気なわけですが…。 blow しかしまあやはりバンドは楽しいわけです。いちばん上の画像はこのところずっと使っていてすごく気に入っているスネアドラムとキックペダル、そしてエフェクトシンバル。スネアドラムはグレッチ社の…、まあいいか、まあいいや。楽器は読んで字のごとく楽しい器なんですが(なんかうまいこと言ったか、オレ)、器は器に過ぎなくて、そこに何を盛るかが最大の問題というかなんというか(なにかこう期せずしてうまいこと言っているような気がして、ちょっとこの文脈休憩) blow ともかくなんでもそうですが、なにかを習得しようとする場合、上達曲線ははじめのうちこそ一気に上昇します。練習量にもよりますがコツを掴むのが上手ければたぶん3〜4年もすれば求められてるスキルの6割がたは習得できるのではないでしょうか。しかし、これを7割に引き上げるためにはそれまでに倍する、いやそれ以上の努力が求められる。むろん練習の質や方法も変えなければならないでしょう。しかも練習しても練習しても成果が出ない。階段でたとえるとずっと踊り場が続いて、ヘタをすると一段下に降りたような気がするときもあるわけです。 blow でもそこで放りださないで泣きたくなるくらい地味な練習を続けながら、少しずつ少しずつ底上げをはかりつつ、やっと7割くらいになったとしても、哀しいことにはた目には6割のときとそう変わらない。ましてこれを8割にする、さらに9割にするとなると、ちょっと気が遠くなってきます。もちろん10割はあり得ません。ようはそうやすやすと上手くはなりません。でもそこがなにかを習得することの魅力の源泉でもあるような気がします。 blow さて、我らがBlowに新メンバーが入りました。ブラスバンドでトロンボーン経験のあるTちゃん。ラー店主が難度の高いトロンボーンからサックスに転向したので、これで管楽器は5人。まさにBlowの名前にふさわしい布陣になってきました。それからパーカッションでS女史が加入の予定。皆さん多忙なのでなかなか時間がつくれないのが悩みの種ですが、それでもなが〜く続けて、なが〜く楽しみたいと思っています。もっと書きたいことがたくさんあったんですが、今回はこのあたりで。 blow 追記/この3連休で「アンナ・カレーニナ」を読了しました。さて、次はなににすっかな?
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Keep The Sharks From Your Heart
7.7 iwai
気がつけばほぼ2ヵ月ぶりのブログ更新です。しかも前回、前々回ともにYouTubeにアップした動画をはっただけという体たらくで、なんだかなあ、と思わざるを得ませんが、ホントに適当にやっておりますのでご勘弁ください。ともかくそんなわけで、あ〜らま、いつの間にか梅雨も明けまだ7月だというのに連日40℃に迫る猛暑、酷暑。まったくもってあぢぃ、だりぃ…。

さて、七夕の7月7日(日曜日)南西強風に期待して岩井海岸へ行ってきました。午前中はセイルサイズ4.2ジャスト。波は膝腰。しかし午後をまわって徐々に風向が南西から南へとシフトし始め、アウトにブローを認めるもののインサイドはスカスカ。15時前後にはアウトのブローもなくなりすっかりシオシオのパ〜。それでも空は澄んで青く、海もきれいでやはり岩井はイーワイ!(久々の更新でかなりうわずってます。ふはは)。画像は我らがChemistry teacher=Nnaoさんからご提供いただきました。ありがとうございました。

ところで、2月から読み始めたプルーストの「失われた時を求めて」は、11巻「逃げ去る女」の中盤に差しかかりました。しかしながら、語り手から逃げ去った女、アルベルチーヌへの追想があまりに長く、あまりにしつこく、かなり辟易してきたので、いったん中断というか休憩。まったく毛色の違うギラギラした復讐譚、デュマの「モンテ・クリスト伯」を読み、今はトルストイの「アンナ・カレーニナ」を読んでいて、これももうすぐ読み終わります。

日本では巌窟王の名で知られる「モンテ・クリスト伯」は娯楽小説の王道とでもいうべき内容でまあホントに面白い。全7巻ですが、あっという間に読めてしまうと思います。「アンナ・カレー二ナ」は、いうまでもなくアンナの不倫を軸に進行する恋愛小説ですが、そうしたドロドロとした人間模様よりもむしろ、ときおり挿入される男たちのアクションシーンが生き生きとして素晴らしい。競馬のシーン、狩猟のシーン、読んでいてわくわくします。トルストイはもしかすると女性が嫌いだったのかもしれないなあ、などと想像しながら読んでいます。

13日からの3連休は恒例の岩井バンド合宿に出かけてきます。ちょうど海開きの日なのでウインドはNG。日中は海水浴でしょうか。それにしてもあぢぃ、だりぃ…。
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Hallelujah


GW最終日5月6日検見川浜で撮った動画をYouTubeにアップしました。詳細は後ほどなんとかします(って、おいおい前回の分もあんだぜ!)
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Stairway To Heaven


春の嵐になった4月7日日曜日、検見川浜でウインドサーフィン。そのときのビデオをYouTubeにアップしました。ちょっと疲労困憊なので、あとでいろいろ書きますね。
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I Have Been In You


3月22日金曜日=ザ・ヘイジツ。南西の強風に期待して岩井海岸にいってきました。性懲りもなくゴーグルマウント・カムで撮影したのがYouTubeにアップした当日の動画です。印象的な場面を残そうとして、慣れないジャンプをしてみたり、ご一緒した方々に無用に海上で近づいてみたり、精一杯いろいろやっています。いい年してなにやってんだか、われながら恥ずかしくも呆れてしまうわけですが、まぁ、そのうちに飽きますから、今だけのこととご寛恕ください。

コンディションは4.2ややアンダーに始まって、正午まわってジャスト、さらにちょっとこれはツラいかも、というくらいになり、同時に波サイズもあがり、それとともに心身ともに余裕がなくなってきて、15時には切りあげました。しかし、今さらいうまでもないことですが、南西の風のビシっと決まった岩井はいいですね。海もきれいですし、波もバイオレンスになり過ぎないし、飽きないうちに波間にステイして皆さんを見上げるウォーターショットみたいなこともできるといいなぁ、などとオッサンは夢想するわけです。

さて、プルーストの「失われた時を求めて」は4巻の中盤まで辿りつきました。架空のリゾート、バルベックを舞台にくり広げられる新たな出会い、恋の予感…。筋書きも舞台設定もまったくもって通俗的でありながら、投げ出さずに読み続けられるのは、精緻すぎるほどの人物描写、人間観察がズバリと核心をついているように思われるからで、読んでいて信頼できるというとヘンですが、じつに面白いというか素晴らしい。ただ、情景描写などがえんえんと続いて物語の展望が見えなくなるとどうしてもペースが落ちます。まぁ、ゆっくり楽しみながら読んでいこうと思います。

「ナボコフの文学講義」が河出文庫から出ていてプルーストもとりあげられているので併読していますが、ナボコフ先生曰く、「なによりも文学の教授になりたいというような格別な場合を除けば、文学なんて現実的な価値はまるでないということを忘れないようにしよう」なるほどもっともです。現実的な価値、即ち、人のためになるとか、お金が儲かるとか、子孫繁栄につながるとか(まさか)そういう意味あいだと思いますが、そうした現実的な価値がないという点では、ウインドもまったく変わるところがありません。でもそこがいいんじゃねぇのかなぁ。きっと、たぶん、間違いなく。
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Hardcore Ecstasy


3月13日、南西強風のヒットした検見川浜でウインドサーフィン。話しは飛びますが、先日、テレビを買い換えまして、そのときたまたま某YAMADA電機(某、いらないから)の店頭で「なんだこのちびくんは?」という商品を目にして、「これはわりといいかも」と思って買ってしまったのが、JVCケンウッドのスポーツカム、アディクソン「GC-XA1」というビデオカメラです。YouTubeに載っけた動画は、そのカメラで撮影したもの。付属品にゴーグルマウントというものがあったので、スノボ用のゴーグルを買って、そこにマウント。マウントっつうといかにもな感じですが、ようはゴーグルのバンドに台座を通して、ビスで固定し、そこにカメラ本体をつけているわけです。なんか説明がくどいですね。ようするにそういうものです。

動画の冒頭、シートがぷらんぷらんしてるのが写ってますが、なにかの拍子にゴーグルごとぶっとんで水没した場合、回収不能になると思い、急遽ハーネスとカメラのストラップをシートで結びつけました。ともかく結果的にゴーグルに海水が入ってくることもなく、視界が遮られることもなく、ごく自然に乗れたかなあ、と思っています。予期できない撃沈、激巻かれなどしない限り、ゴーグルごともっていかれることはなさそうです。撮影のコツはあんまり上を向かないことでしょうか。あるいは海面を狙うようにカメラ本体をほんのすこし下方に向けてマウントするとか。ちょっとした角度で空ばっか写って、海面がすこししか写ってなかったりしましたから。

コンディションは3.7アンダー、波は腰腹くらい。寝つけないときなど、南西風の強く吹いた検見川のカオスな海面で乗っている光景を思い浮かべると、いつの間にか寝てしまうという奇癖が私にはありまして、そういう光景をちょっとでも収めることができて個人的には満足満足です。ただし、ウリのひとつだったWi-Fi接続してスマホでリモート操作する機能は私のスマホがダメなやつなせいなのか、ぜんぜん使えません。撮影した画像の確認はカメラ本体のちび液晶でやるほかなさそうです。それに使えたとしても海水で濡れた手ではスマホがダメになりますわな、うん。
ゴーグルマウント
さて、Eddie基金の残高は現在32万7782円(2月末時点)になりました。すごい金額です。会計担当の千葉ひでさん、毎月の会計報告ありがとうございます。皆さまのご協力に感謝致します。ありがとうございます。また3月からは各協賛ショップ、各協賛団体から月3000円ずつ募金されることになりました。重ねて感謝申し上げます。引き続き、ご協力よろしくお願い致します。

また話しはうって変わりますが、このところ昨年末からずっと海外の長編小説を読んでいます。メルヴィルの「白鯨」全3巻、セルバンテスの「ドン・キホーテ」全6巻を読み終わり、プルーストの「失われた時を求めて」はようやく3巻の終盤に差しかかりました。それでもあと10巻、ほんとに読了できんのかな。まぁしかし、とんでもない小説です。フランスのブルジョワジーや貴族たちのサロンの会話、登場人物の恋愛模様、あこがれと嫉妬と幻滅、作者である私が語る美学論、音楽論、子ども時代の記憶、そういったものがこれでもかと延々とつらなって、まったくもって私などとは縁もゆかりもない世界であるのに、なぜか自分の心情が書いてあると思わせる。

たぶん、ぜんぶ書いてあるから、ぜんぶ書こうとしているからではないでしょうか。起きたことの正確さを期するには、ぜんぶ書くか、なにも言わないか、そのどちらかだと思いますが、この小説は微に入り細に入り、それこそ舐めるように思い起こせる限りのことがぜんぶ書いてある。まるで〜のように、という形容がどこまでもどこまでも続いて、ときにうんざりもさせられますが、その形容が読みながらストンと了解できたとき、読み手にハードコア・エクスタシーをもたらすのではないか、と考えます。ちなみに鈴木道彦訳、集英社文庫のシリーズです。「ドン・キホーテ」ははらはらと泣けます。ドン・キホーテとサンチョ・パンサのなんとまぁ、愛しい人たちであることか。失われた時を求めての影響のせいか、どんどん長くなりそうなので、このへんで終わりにします。

あっ、あと、新しいスネアドラムも買って、これはグレッチの「G4160」というブラスシェルの定番でガツンとしたもの凄くいい音が出ます。それからエフェクトシンバルも…、すんません、ホントにもうやめときますね。「これってさ、結局買った自慢?」「いや読んだ自慢?」「いや、好意的に考えれば、3ヵ月ぶんまとめて書こうとしたからじゃね」「バカだね〜」
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The Voyage Continues
『検見川Eddie基金ホームページ』が本日、オープンしました。

基金へのご入金は銀行口座振り込みと各協賛ショップに設置予定の基金箱(Eddie Box)で受けつけています。

口座振り込み先は、
千葉銀行・幕張新都心支店
普通預金
口座番号3390550
ケミ・プロジェクト2Eddie基金

現在、基金残高は11万3799円(2012年11月末現在)です。
これから長い航海が始まります。
5年先、10年先に続く基金になるよう、
息の長いご支援をよろしくお願いします。
とり急ぎ、ご報告まで。
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Triumph And Tragedy
russbook
エディ・アイカウの伝記『エディ・ウッド・ゴー!「エディ・アイカウ物語」』(スチュワート・ホルムス・コールマン著/えい出版社)を書店で見つけたので、ほんとうに遅ればせながらなんですが買って読んでみました。それにしても厚い。500ページを超える大冊です。

エディの正式なハワイアン・ネームは、エドワード・ライアン・マクア・ハナイ・アイカウ。「マクア・ハナイ」とはハワイ語で育ての親という意味だそうです。ネイティブ・ハワイアンの大家族のなかに育ち、やがてオアフ島ノースショアのビッグウェイブ・サーファーとして、ノースショア、ワイメア・ベイの初代ライフガードとして勇名を馳せ、悲劇的な最期を迎えるまでの32年間、素朴なローカルボーイだったエディが永遠のカルチャーアイコンになるまでの軌跡が数多くの関係者の証言をもとにカラフルに描き出されています。

子ども時代から青年時代にかけて非常に貧しかったこと、家族を何より大切にしていたこと、謙虚で控えめな性格であったこと、神業的なビッグウェイブライディング、ライフガードに抜擢されるまでの顛末、海や波の魅力と怖さ、白人社会との軋轢、サーフィンがアメリカンポップカルチャーのひとつとして脚光を浴びるようになったことの功罪、そういうなかでエディがハワイアン民族のルーツを常に意識し、誇りにしていたことなど、たんにサーフシーンを賛美するだけではない著者のニュートラルな視点が本書に奥行きと深みを与えているように思えます。

圧巻はやはりエディの最期に迫ったチャプターでしょう。古代ポリネシア人が偶発的にではなく、計画的にハワイの島々に入植したことを実証するために建造された大型双胴カヌー「ホクレア号」。近代的な航海術に頼ることなく、ハワイ、タチヒ間を往復するという野心的なプロジェクトのクルーにエディは志願します。ネイティブ・ハワイアンとしての血が騒いだというか、このあたりはもう宿命としかいいようがありません。

1978年3月、荒天をついての船出、転覆、そして嵐のなかでの漂流。漂流地点から30km以上も離れているラナイ島までサーフボードでパドリングし、助けを求めてくるというエディの進言。それはキャプテンによって却下されたものの、ほかに助かる道がないという苦渋の判断の末、エディを行かせてしまう。その日の午後、エアラインの最終便が奇跡的に「ホクレア号」を発見し、全員救出。仲間を救うために荒海にパドルアウトしていったエディは、その後の懸命の捜索にもかかわらず遺体すら見つからず、永遠に帰らぬ人になったということです。

有名な「Eddie would go!」(エディなら行くぜ!)というフレーズは、その9年後に開催された第一回クイックシルバー・エディ・アイカウ追悼コンテストの場で、あまりの大波に主催者側が開催の可否を協議していたとき、大物サーファーがふと口にした言葉だとか。そのフレーズが波紋のように広がって、今、多くの人たちに伝わっていることを思うと不思議な気がします。

長くなりました。最後にエディの人柄がずばっと伝わってくるところを本書から抜粋しておしまいにします。エディのもとでライフガードの指導を受けていた後輩が当時をふり返ったエピソードです。

「やがてエディは少女の小さな身体をかばうように抱えて、砕け散るショアブレイクを突き抜けてビーチに戻ってきた。半狂乱になった両親は、娘の命を救い、自分たちのもとに連れ帰ったエディに何度も何度も礼を言った。しかしエディはただ彼らに頷(うなず)きかえし、ほんの一瞬シャカサインを見せると、その場を立ち去っていった」

しびれます。悲劇的なことばかりではなく本書には海に生きることの素晴らしさもたっぷりつまっています。エディがいっときウインドサーフィンに夢中になっていたという記述もあります。時間があるときに是非、手にとって読んでみてください。Eddie基金ホームページは早ければ今週中にもオープンできそうです。しかし、一気に寒くなりました。あったかいところでゴロゴロしていたいよ〜。
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Eddie Would Go!
IWA氏
映画『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』のなかで、仲間への伝達手段に“のろし”が使われるシーンがあります。烽火(ほうか)とも呼ぶらしいのですが、はるか遠く離れた山の頂から頂へと、火がつぎつぎに灯されていく光景は、発信者のメッセージが確かに受け継がれていくプロセスが雄大な自然のなかに可視化されたようで、それだけで心が高鳴ってきます。

2012年10月半ば、検見川浜にレスキュー艇『Eddie丸』(通称Eddie)が配備されました。仲間たちの笑顔に包まれた進水式では、Eddie配備の最大の功労者、我らが岩下哲也氏(検見川ビーチ連盟代表)から、Eddieにシャンパン、焼酎、日本酒がかけられ、船腹からお酒の香りがぷんぷん漂っていたことを思い出します。いい進水式でした。

さて、『Eddie基金』の道筋がようやく見えてきたのでここにご報告させていただきます。まず基金運営に先立って、専用のホームページを立ち上げ、そこで基金へのご協力のお願いを募ると同時に現状の入出金状況を“見える化”します。入金については、銀行振込および協賛ショップに設置する基金募金ボックスからの寄付金を一括集約し、一ヵ月単位で同ホームページにて公開。いっぽう、出金については、月々の燃料代、メンテナンス費など、Eddie運営にかかった経費を公開し、入金から出金を引いた数字を基金残高として明示します。

基金のコンセプトは次の3つです。1つにはオープンであること。レスキューに垣根などないようにEddie基金に垣根はありません。趣旨にご賛同いただけるなら、どなたであっても是非、ご協力いただきたいと思っています。Eddieは会員制のように限られたメンバー向けのレスキュー艇ではありません。皆さんの善意のみによって支えられる基金であることをまずご理解いただきたいと思います。

2つめが透明であること。入出金の現状は先に触れた通り、専用ホームページ上において、仔細の漏れなく公開します。そして3つめが継続性です。Eddie基金は決して一過性の打ち上げ花火などではない、息の長い基金でありたいと考えています。今あるEddieもいずれ経年劣化し、老朽化していきます。万一のトラブルで船体やエンジンが修理不能になり、買い換えの必要が生ずることも当然、考えられます。そのときのために積み立てられるのがEddie基金だと思っています。

その意味で基金立ち上げ初期に一気に入金額が増えて、しかし、そのうちに忘れられていくというより、低額だけれども毎年毎年コンスタントに寄付金が積み立てられていくほうが望ましいと考えています。そのためにも機会あるごとに基金について、Eddieの活躍について、欠かさずに情報発信をしていきたいと考えています。

さらにゆくゆくは基金運営の継承もしていきたいと思っています。我らが岩下哲也氏は「俺、20年後もやっていきますよ!」と豪語していますが、あのね、私なんてそのとき70歳なんすけど…。ということで基金のしっかりしたフォーマットだけはこれから試行錯誤しながらつくりあげたいと思っていますが、いずれは若い方々にバトンを渡していきたいと考えています。そのとき、是非、ご協力をお願いしたいと思います。

Eddie2 最後にEddieの名前の由来になったエディ・アイカウについて。
じつはというか、いうまでもなく私自身会ったこともない人ですし、どんな人であったのか、Webなどで散見される逸話からしか推し量ることはできません。ただ確実に言えることは、人を助けるために犠牲になったこと、そしてその事実が語り継がれ、今なお多くの人々の間でその名が尊ばれていること。そして何より、その伝説に込められたメッセージが時間と空間を超えて、この検見川浜に届いたこと、そのことを大切にしたいと思います。

Eddieの打ち上げた“のろし”を受けとめた岩下哲也氏の思いが、多くの人々の目にとまり、確実に受け継がれますように。そして、いつまでもその火が絶えないことを願って。是非、Eddie基金への皆さまのご協力をお願いします。
『Eddie基金』発起人:三好知冬(チフユ)会計監査人:高橋秀樹(千葉ひでさん)

追記/Eddie基金ホームページでは検見川ヒロさんから素晴らしい仕上がりのPVとグラフィクスをご提供いただく予定です。ありがとうございます。
私の腰痛ですが、腰椎椎間板症というわかったようなわからないような診断名がつきました。ときに椅子に座れないほど悪化することがあり閉口しております。年内のウインドはたぶんNG(号泣)
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Famous Blue Raincoat
RUSS
ボクの名前はヤン坊、ボクの名前はマー坊ではじまる某発動機メーカーのCMがあります。子どものころから何度も耳にしているせいか、今になってもふと口ずさむことがあって、二人あわせてヤンマーだー、きーみとぼくとでヤンマーだーなどど歌ってしまう。しかし、考えてみると、どうしてヤンマーをヤンとマーに分ける必要があったのか、そもそも、この坊やたち二人はいったいどういう来歴があって、ヤン坊、マー坊などと自称し、歌って踊っているのか、まったくわかりません。それでもいったん受け入れてしまったものは、打ち消しがたく、ボケないかぎり、死ぬまでこの歌を覚えているはずです。

前置きはこのくらいにして、ドストエフスキーの『悪霊』のなかでもっとも心を打つのは、語り手のGくんが、どっからどうみてもダメダメなステパン・ヴェルホーヴェンスキーに対して、私にとってこの人は大事な人であった、と、胸のうちを吐露する場面です。

彼がきょうの登壇を自身の運命の岐路のように見ていることは、もう明白であった。ほかでもない、私の恐れていたのはこのことであった。私にとってこの人は大事な人であった。だから、いよいよ彼が口を開き、その最初の一句を耳にしたとき、私がどんな気持ちになったことか!(『悪霊』 江川卓・訳)

ステパン氏とGくんの関係は、友人というには年が離れすぎているし、師弟というにはステパン氏があまりに情けなさ過ぎる。観察力の鋭いGくんはステパン氏の弱さや駄目なところ、その限界も知り尽くしています。それでも大事な人だと感じている。それはなぜだろうか。

ステパン氏が底抜けのお人好しで好人物だったからなのか、大きな赤ちゃんのようで放っておけないと考えたからなのか、たぶんどちらも当てはまるでしょうが、それ以前にGくんはステパン氏の存在を丸ごと受け入れてしまったのではないかと思う。人生の貴重な時間をともに過ごし、いろいろなアクシデント(だいたいはステパン氏が引き起こす)を共有し、もはや自分の一部にすらなってしまった、だからこそ、切実に大事な人になったのではないかと思います。

ちなみに『悪霊』は、ステパン氏の一代記として、またはワルワーラ夫人とのラブコメディとして読むのが一番、面白いし、楽しいし、悲しくて、そして、笑えます。深刻ぶったスタヴローギンやキリーロフなど、ステパン氏に比べればけっこう底の浅いサブキャラクターとしか思えない。しかし、二十代のころから何度も読み返しているのに、ステパン氏の容貌を描写するところではいつもギクリとします。長身痩躯、つまり背が高く、痩せている。しかも、肩まで垂れる長髪とある。ステパン氏というとハンプティ・ダンプティのようにまん丸な感じのイメージをどうしても思い描いてしまっていて、そこを読むとちょっと愕然とします。

いつの間にか、私もステパン氏と同じ年齢になってしまいました。あと何回、読み返すことがあるのか、あるいはできるのか、いずれにしてもたぶんボケないかぎり、死ぬまでステパン氏のことを忘れないでしょう。それが私にとってどういう推力になるのか、まったくわからないわけですが。

小さなものから大きなものまで、動かすチカラだ、ヤンマーディーゼルー!

腰を痛めてから天気予報をまるで見なくなりました。海にも行けないのでこうしてブログをこそこそ更新しています。
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